無礼な文体になってます、ごめんなさい。

あほう♂

先日、稲垣書店の中山信如さんからお便りをいただいた。
「彷書月刊」最終号の岡崎武志さんの記事をわざわざコピーして同封してくださり曰く、
ウチでは百円たった三冊なのに信天翁では二冊二千円とはズルい、
と。中山さんらしい冗句にくすりとさせられる。
しかし、中山さんのようなこの世界の雲の上の方に勿体なくも目を掛けていただき、ましてやこの業界、愛好家の方々すべてから惜しまれつつも幕を閉じざるを得なかった最終号の記事に屋号まで出していただいていたとは、分不相応と畏れ多い気持ちばかりなのである。
はたしてこの店は、偉大なる先達諸兄の期待や激励に相応しい古本屋となれるのだろうか。
精進するしかないことはわかっているのだが。
そういえば秋も一箱の日、往来堂書店で岡崎さんとお会いしたときにこの「均一小僧」のお礼を言うのをうっかり忘れてそのままになっている。
情けないのはわかっているが、まったくもってぞんざいな生来だ。せめて最低限の礼儀くらいはわきまえたいものである。

昨日は雑司が谷鬼子母神の御会式(おえしき)に出向かせていただいた。
店番をアーサとその仲間たちに頼み、わめぞの方々のツイッター上の呼びかけにのこのこと出かけていったのである。
祭はそれは素晴らしいものだった。
昨年、南陀楼綾繁氏がトランス状態となり死んで身体が動かなくなるまでと思わせるほどに太鼓を叩き続けた、という伝説や、初音湯の風呂友翁の魂のこもった讃辞とススメ、などから、一度はこの目で見てみたいと思っていた。
それは噂にたがわぬものであった。
幻想的な万灯の灯りに導かれ団扇太鼓を叩きながら練り歩く老若男女、時には障害のある方も見える。誰も彼もが皆いい顔をしている。本当に楽しそうだ。
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脇で見ている観衆も、時折太鼓を手にしている人がいる。こちらも熱は低いかもしれないがやはり楽しそうだ。
そしてわめぞ会場。都電鬼子母神停留所から歩いてきたわけだがそれまでの沿道とは熱が違う。ここではほぼ全員が太鼓を持っている。何よりあくまでも陽気で、間口が広い。新参者のぼくらにもすぐに酒が渡され太鼓も廻ってきた。
なんて楽しいんだろう。

徐々に高揚していくのが意識できる。日本にはまだまだ見知らぬビートがあるものだ。そんな感想もほどなく酒も手伝い意識は無へと帰してゆく。中には太鼓を地に置き這いつくばり大地を打ち鳴らすかのごとくビートを刻む者まで現れる。この祭は、たしかにすごい。


そうしてしでかしてしまった。
最後の講が通り過ぎ祭も終わり、飲み会となった席で、通常の酒量からするとそれほど酔っぱらう量でもない、祭の高揚はあるが緊張の副作用もあったに違いない、たしかに酔っていた。どこでどうしてそんなことになったのかはっきりと思い出せないのだ。
だが私はいつしか往来座の店長に勝負を挑み、負けた。
彼は、鼻であしらうかのごとく、そして容赦なく、完膚なきまでに、この世間知らずの小僧を退けた。
そもそも瀬戸さんに挑むことなど10年、いや100年早いことだといまさら思う。いくら酒の席だったとはいえ、恥ずかしい、何よりおこがましい。


それでもいまにしてやはりこう思うのだ。彼は、この世界の厳しさを、このぽっと出の青二才に教えてくれたのだ、と。この業界はそんなに生易しいものではない。好意的な人々の優しさに甘えてばかりいないで己をもっと磨け、と。
そんな風に感じられてならない。

ここ数日去来するものに対する明確な<こたえ>が、祭のあとの秋風に舞っている、
気がする夜なのである。





瀬戸さん、そして応援してくださるたくさんの方々、
ありがとうございます

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そしてワインの瓶を割るという粗相までしでかしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
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by books_albatross | 2010-10-19 22:16 | あほう♂